この仕事をしている人なら必ず聞いたことがあるクライアントや事務所からの要求が「良い明細書」。
5年や10年程度のキャリアであれば、よい明細書を書くために必要なものは経験、と言える。
しかし実際は15年、20年、25年とキャリアを積んでいっても、結局のところ、良い明細書を書くために何が必要かという答えは見つからないし、良い明細書とは何かという答えも見つからない。
おそらくこの答えに対する回答はない、とキャリアを積んで言えるようになった。
若かりし頃にあるクライアントから要求された「良い明細書」は、訴訟に勝てる明細書であった。
訴訟案件を依頼して貰えないのに、訴訟に勝てる明細書を要求するなんて、と思ったものだった。
またある事務所では、実施例を追加できることが良い明細書に求められることだ、ということも聞いた。
事務所に明細書を外注するのだから、付加価値をつける必要があるという考えなのだろうが、これも自分のなかでは消化不良を起こした。
勤務時代、数多くのクライアントを担当したが、及第評価される場合もあるし、落第評価される場合もあった。
自分の実力は同じなのに、あるクライアントは満足し、あるクライアントは不満足ということが起きた。
さらに5年程度のキャリアのときに担当したクライアントから高評価を得たこともあった。
良い明細書の評価が属人的であるがために、その評価に一喜一憂していると自分を見失うことになる。
いまの時代、ある程度のクオリティーを提供することは当たり前なので、ある程度のキャリアを積んだ人に当たれば、悪い明細書ができあがることはまずない。
特許事務所も、評価できないクオリティーでは差別化できないため、価格という分かりやすい判断材料で営業するようになっているが、もはやそれも限界だろう。
価格であれば、誰が担当しても同じ低価格というサービスを提供できるわけだが、それだったら無料でサービスを提供できる事務所が評判が良いという結果に行き着く。
そういうサービスを求めるクライアントよりも、ちょうど美容師が指名されるように、あの人にお願いしたい、という信用を評価して依頼してくれるクライアントと巡り合えば、お互いに幸せであるのだが。
これまでノウハウ的なコラムを事務所のウェブサイトにたくさん書いてきたのだが、今の時代、知りたい情報はその他、多くの弁理士も書いている。
しかも表現の仕方が違えど内容はほとんど同じ。
価格で評価される事務所ではなく、人で評価される弁理士でいたいので、ノウハウ的なコラムを書くよりも、人となりが感じ取れるブログを書く方が良さいのではないか、という理由でこのサイトを立ち上げてみたのだが、果たしてどのような人が読んでくれるのだろう。