知的財産権の尊重が浸透し模倣は悪いというイメージが定着しました。
模倣に替わって独自が評価されるようになりました。
さて模倣は本当に悪いことのか。
そんなことはありません。
模倣は先人の知恵を次世代に伝達するための手段です。
一から何かを編みだす独自行動だけで人類は進化することはできません。
模倣なくして人類の進化は有り得ないのです。
模倣は悪い、
これは知的財産権が生み出した弊害です。
模倣と知的財産権の関係、
模倣=権利侵害という場合、
模倣≠権利侵害という場合、
この2つがあります。
模倣した、その結果、知的財産権を侵害したなら、それは悪いことです。
権利を侵害してはいけないというルールを破ってはいけないからです。
何が言いたいのかと言うと、
模倣と権利侵害を混同していることです。
模倣しても権利を侵害しなければ良いのです。
そしてもう一つ混同しているのがルールとモラルです。
権利を侵害してはいけないというルール、
模倣はいけないというモラル。
権利を侵害してはいけないというのは人が決めたルールです。
交通ルールと同じです。
ルールは守らなければなりません。
ルールを破るという選択はありません。
モラルはどうでしょう。
模倣するなんてモラルが低い。
模倣するなんてモラルがなってない。
モラルで人をコントロールすることはできません。
ここがルールと違うところです。
自分と他人のモラルが違うのは当たり前、
生まれ育った地域でモラルが違うのは当たり前、
育った環境でモラルが違うのは当たり前、
年代によってモラルが違うのは当たり前、
国・地域モラルが違うのは当たり前、
モラルには基準がないのです。
クジラ肉を食べる日本人のモラルが低いと非難する欧米人、
牛肉を食べる西洋人のモラルが低いと非難するイスラム教徒。
良し悪しがないのがモラルです。
そんなモラルを基準にして模倣が悪いとは言えません。
模倣自体は悪くはありません。
模倣自体を禁止することはできません。
模倣を禁止したければ模倣すれば権利侵害になるという仕組みを作ります。
それが知的財産権です。
知的財産権があるモノ・サービスを模倣する、
模倣すれば権利侵害になるので模倣を禁止できます。
逆に言えば、
模倣を禁止するためのルールがあるのに使わない、
その場合は模倣されても仕方がありません。